前日は対して走っていなくてもお腹は空きます。だって当時は育ち盛りの22才なんですもの。

友人宅にて朝食をご馳走になり元気100倍。温かい味が体に染みわたり活力が体のそこから湧いてきて、淡路島へ向かうべく準備をします。

友人にお礼と別れを伝えていざ淡路島へ。昨日と打って変わっていい天気。いいサイクリング日よりです。友人になんかお礼の品を渡した気がしましたが、画像がないのできっと気のせいだったのでしょう。撮影しておけよ、当時の自分。
いくら大阪が都会といえど、皆が起きる前の朝方は車の量も少なくいい感じ。スイスイと混雑するポイントを抜けて郊外へ。なんかオサレなバスも見れてお得な気分になる朝でした。



補給をしながら順調にすすんでいましたが、ここで第一のトラブル発生。知らぬ間にリアキャリアのボルトが消える事件。ちょっとこれはやばいって!
どうしようかなーと考えていた目線の先に見えるホームセンターの力強い文字。もうほんと神。ホムセンは住んでしまいたいくらい好きです。

とりあえずビスとナットを買って修復。工具はなかったんで手でギュッと締めただけですが、こまめに見ればいいでしょう。余計な物買うお金もったいないし。今思うとホムセンで工具貸してもらえたんでしょうか?


大阪のたこ焼きどこも安くて美味しい説。


都会だからか、陸橋ヒルクライムがちょいちょいカットインしてくるため、足にダメージが蓄積されていきます。当然乗ってはいけないのでえっちらおっちら、体感で15キロくらいある自転車を押して登ってー、下ってー、また登ってー、を繰り返す道中。なんでこんな修行をしているのか自問自答の時間が続きます。おかしい、自転車乗りに来てんだけど。そして、重心がリアヘビーになりすぎてウィリーしまくる。フロントキャリアもやはり必要なのか・・・?いや、いらんな。ちょっと錯乱してました。
今見るとコックピット周りに時計があったりしますが、当時は心拍計とスピード計がセットになったものは高かったのでジョギング用の心拍計付きの時計を無理やりつけたらこうなりました。素直に心拍計付きのサイコン買ったほうが良かったのでしょうが、当時はなぜかその発想が出てこなかったんですね。今なら迷わずガーミンポチります(確か当時は500シリーズ)




知らない地元ライダーに無賃乗車するも、一瞬で小さくなりました。こちとらスピードはホント出せないので亀のような速さで目的地の明石のフェリ-乗り場に向けて道路を爆走。一見怖そうですが走るにはそんなに恐怖を感じなかった記憶があります。意外と道路幅が広かったので走りやすいです。



今回補給の写真を見るたびに思うのは、食べるもの大体茶色という事実。確かサプリでマルチビタミンを持ってきていたような気がします。「これ飲んでおけば野菜食べなくてOK~」という狂ったアメリカン思考になっていたのだと思います。
早死しそうな思考ですが、今は改善されたのでまぁ・・・。
あとポテト3つも食べたのだという事実に10年後に現在、唖然としています。確か当時、これで1000円のキャンペーンをやっていたような。



バーテックスが渡ることでお馴染みの大橋(違)
分からない人は下のリンクを見ましょう。オススメアニメ3選を作るなら入れたい作品です。
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橋を渡るには自転車だとNGだった気がします。なのでフェリーを使いましょう。出航時間まで待機。待ってられない、じっとしてはいられない病気のような何かに感染しているので出航時間までその辺をブラブラ。
知らない町って面白い物の宝庫なので散策していると、明石焼きの持ち帰り店を発見しかのですかさず入店。テイクアウトを注文して後の補給にすることにしました。これも茶色だなー。他にもタコを熱々の上下に配置された鉄板につぶし押し当てて作る、文字に起こすとなんとも恐ろしい「たこせんべい」のお土産も買いました。





時間になったので遅れることなく乗船。基本心配性なので10分前には待機。ここで乗り遅れたら次の便まで時間がかなりあるんで絶対に遅れられない。
因みにフェリーには分解なしでそのまま「えーい」と乗せられたので楽チンです。







IN THE 淡路島
見渡す限りの海。そして店が少なくて走りやすかったです確か。
ここから宿まで40kmほどあるみたいなので、日が暮れる前に是非到着したい。ナイトライドだとライト1本しか持って行かなかったので若干の心配があるんですね。おぉ、怖い怖い・・・
もっとライト持って行けよ、当時の自分。






道中に見つけた竹ちくわ。アキバにあるおでん缶に似た印象を受けます。
当地のご当地モノはなんでもいいので買ってしまいたく衝動に激しく駆られます。多分温めたほうが美味しいのでしょうが、ホテルについてからそのままワイルドにかぶりついて糧にしました。








途中にしまむらに寄ったみたいですが、他に店に寄った記録がありません。筆者のメモリーがバグっているのか本当に店がなかったのかは定かではありませんが、前者のほうが可能性が高そう。
若干日が暮れかけた頃に宿に到着。


従業員の方が自転車を部屋にいれていいと言ってくれたので、ありがたい気持ちでいっぱいになりながら チャリIN THE 部屋。
そして秒で物が散乱する地獄の図。
写真を見る限り、宿の夕飯を食べていないようです。確かお金勿体無いから全ての宿を素泊まりにしていたと思うのでこの日も栄養バランスをガン無視した夕餉。
若さってすごいなー。
お、茶色以外入ってるやんけ!




2日目はトータル100kmくらい走ったようです。こんなに走ったんですね。10年越しの走行距離に驚きを隠せません。頑張ったね、自分。
補給は少し偏りがありますが、きちんと摂っていたおかげで当時そんなに疲れた記憶はなし。単に忘れているだけの可能性もありますが・・・
次の日は美味しいでお馴染みのうどん県でうどんを食べるライドが始まります。補給食が脱茶色ですが、対して変わってない件。
ではでは~
その2↓
https://ro-dotokidokimaunntenn.com/2022/04/07/post-2556/